キングダムの秦軍はなぜあんなに強いのか?

戦国時代

キングダムに出てくる秦の軍や武将ってメチャメチャ強いですよね・・。

もちろん、ライバルである趙や魏、呉にも猛将はたくさん存在します。

しかし、キングダムでは李信や蒙武、王賁など秦の将は次々とキラ星のごとく登場。
彼らは馬力もすごく、劣勢に立たされても最終的にはほぼすべての戦で勝利しています。

じゃあ実際はどうだったのか?

実は史実でも、この時期の秦は圧倒的に勝ち戦が多く、負けることはほとんどありませんでした。ちなみに魏や楚でさえも連合軍でないと対抗できない状態まで劣勢に立たされます。

結果的に、政が秦王となり中華を統一するまでこの流れは変わらないんですけどね。

じゃあ、あんでこんなに秦軍は強いのか?

その理由について、今日は解説しようと思います。

稀に見る法治主義国家だった

初っ端からですが、実はこれが一番の要因です。

秦は、戦国七雄(秦・趙・魏・韓・楚・斉・燕)の中で一番法律に基づく統治が行われた国家でした。

紀元前350年ごろ、商鞅という人物が秦の宰相となります。

彼は法律に基づく徹底した統治を行うように改革します。

その内容は、

農民の分家を義務付けて積極的な開墾を奨励する。
成績が良ければ免税、怠けたり商売したら奴隷の身分に落とす
耕作地が拡大、作物の収穫量が増えたことで、戦争になっても安定した物資補給が可能
戦争での功績があれば、必ず褒美を授ける。逆に功績がなければ、貴族でも降格させる。
身分よりも実力が重視され、兵士の士気が向上。有能な武将が数多く出現
法律は身分に関係なく実行する
違反した王族が鼻削ぎの刑を科されるなど、平等に刑を執行。綱紀が締まる
各地に郡県制を敷いて、すべての土地を国王の支配下とする。
貴族や官僚には、土地ではなく俸禄支給にする。
高度な中央集権体制となり、必要以上に力をもつ家臣がいなくなる
 国王の専制主義国家に変貌し、命令がすみずみまで実効可能となる

ざっくり上げてもこれだけの改革がありました。

この改革により、国王の命令が絶対の強力な軍隊を安定して投入することができるようになったのです。

他の国家に比べて文化的に遅れていた

実は秦は戦国七雄のなかで一番文化的に遅れた国家でした。

いわゆる中華というのは、もともと周王朝が統治した場所のことをいいました。

戦国時代でいえば、趙、韓、魏の場所らへんが中央であり、太公望が創始者の斉も昔から文化的に進んだ先進国家だったのです。

それに比べて、秦の統治する場所は古代には西戎といわれる蛮族が住む地とされてきました。

兵器も遅れており、趙や魏ですでに鉄制の剣や鎧が普及していたのに対し、秦ではまだほとんどの兵士が青銅製の武具を使用していました。

そのことを恥じた歴代の秦の君主は積極的に外国の進んだ文化を取り入れたり、人材を登用していったのです。
プライドが高くない分、自国の制度や文化に固執せずに新しいものを取り入れる空気があったんです。

そのためか、実は秦の宰相は外国人が多いんです。

法治主義を導入し、大改革をした商鞅・・・魏の出身
歴戦の猛者である白起を採用して領土拡大に貢献した魏冄・・・楚の出身
遠交近攻を献策して、趙の国力を大いに割いた范雎・・・魏の出身
始皇帝となる秦王政の即位のきっかけを作った呂不韋・・・韓の出身

▽秦の宰相 呂不韋~キングダムより~

こんな感じで有名どころでもこれだけの宰相がいます。

有能な人材を実力重視で取り入れたことが、国力拡大につながりました。

儒教的観念が低く、冷徹な行為が多かった。

前述したのと若干かぶりますが、秦の行為はおおむね冷徹でした。

例えば、自国の臣下でも害を及ぼすと判断すれば容赦なく殺しましたし、他国と約束をしても利があると判断すれば、平気で裏切ったり嘘をつく国王が多いことで有名でした。

これは、中原の国からみれば、礼儀のない野蛮な国に写ります。
そのため、非難されることが多かったのですが結果的には秦の利益になることが多かったのです。

また、戦争においても徹底した無慈悲さで相手を壊滅状態になるまで叩きました。

例えば・・・

紀元前317年 合従軍に勝利し、8万2千人を斬首
紀元前293年 魏・韓の連合軍に勝利し、24万人を斬首
紀元前279年 楚との戦いに勝利し、水攻めで数十万人を溺死させた
紀元前273年 趙・魏・韓の連合軍に勝利し、13万人を斬首
紀元前264年 韓に勝利し、5万人を斬首
紀元前260年 趙に勝利し、捕虜40万人を生き埋めにした

まさに鬼畜の行いですよね。
白起なんてひどいもんで、合計したら100万人以上は殺しているんじゃないでしょうか?

▽秦の猛将 白起~キングダムより~

しかし、兵士の数=国力なので、人口を減らされ続けた他国は国力が大幅に減少。

兵の数でも、他国を凌駕していくことになりました。

守りやすい地形に位置していた

秦は、戦国七雄で一番西に位置していました。

一番野蛮といわれた地ですが、山がちな地形で、東の函谷関という要所を防げば他国に侵攻される恐れはありませんでした。

それに、未開の地であった蜀の地(現在の四川省)を他国の心配をする必要がなく自由に領土にすることで勢力を拡大できたことも大きいですね。

趙・韓・魏のように中央で豊かな地にあっても、戦争続きで焦土と化すことなく、安定した農業経営ができたのです。

こういう地の利も、大きな要因でした。

まとめ

秦のこうした行動により、秦王政の時代に中華統一を成し遂げ、秦は唯一の国となります。

しかし、占領地における徹底した法治主義と儒教など他文化の否定は民衆の憎悪を招き、始皇帝の死後に一瞬で崩壊してしまうんですよね。

今後、キングダムで次々と武将が殺され国が征服されるのを読むのは少しツラい気もしますが、秦の強さはこういった所にあったのです。

 

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