【中国史】中国の風呂の歴史

通史

私たち日本人は、世界でも有数のお風呂大好き民族として有名です。

では、お隣の中国人はどうなんでしょう。
現代でこそ、どこの国にも浴室と浴槽はありますが、古代中国人が風呂に入ってるシーンってあんまり想像できませんよね?

三國志に出てくる人物とか風呂に入ってたんだろうか?

今日は、そんな古代中国の風呂について調べてみました!

古代中国人もお風呂は大好きだった。

結論からいうと、古代の中国人も風呂は大好きでした。

ただし、たっぷりの湯舟に全身までつかる習慣があるのは、世界でも日本人だけみたいです。

そもそも風呂って言葉は日本語で中国にはありません。
中国では沐浴と言われており、これが転じて日本でも入浴とかいうようになったんですね。

古代中国でも身体を清めることは衛生面だけでなく、大事な儀式として定義されていました。

沐=髪の毛を洗うこと。
浴=身体を洗うこと。
=手を洗うこと。

漢字一つ一つに意味があり、これらの漢字が合わさって、沐浴という言葉ができました。

では、時代ごとにどんな沐浴の方法があったのでしょうか?

原始時代

このときは、さすがに沐浴の習慣はありません笑

水浴びをして汚れを落としたり、暑い日は川や滝に入って涼んだりする程度でした。

まあ、ある意味最初の沐浴と言えるかもしれませんね。

殷周時代

このあたりから、沐浴は大事な儀礼となっていったようです。
神官が祭祀を行ったり、王が重要人物と会談する前は沐浴をして身を清める決まりでした。

また、ニンニクや肉など臭いの強いものも厳禁。
沐浴は不浄なものや汚れをのぞく効果があると思われていたのです。

まだこの時代では、生活習慣というよりも、儀礼の一種として行われていました。

▽殷周時代の青銅製の浴槽

ただし、こんな浴槽に入れるのは王侯が重要な儀式に望むときのみ。
普段は、王侯貴族でさえも、たっぷりも水につかることはしませんでした。
※そもそもお湯でさえもなかったようです。

じゃあ、どんな道具を使っていたのかというと・・・

この「匜」という水差しと

この「盥」というたらいを使って・・・

こんな感じで、手や髪・顔を洗っていたようです。
全身は温めたお湯でサッと流す感じでした。

このスタイルは、歴代中国において変わらぬ習慣として残りました。

戦国時代~秦統一王朝時代

始皇帝は、阿房宮※のなかに、広大な浴場を建設しました。
※始皇帝が作った超ド級の豪華な宮殿。多額の税金や多くの人夫を酷使して民衆の不満を招きました。

▽阿房宮の復元図

宮殿内で生活する妃姫や使用人たちが沐浴できるように、上水道を作って、付近を流れる渭水や樊水から水を引っ張ってきて、使用済みの水は宮殿の外に排出する仕組みでした。

身を清めたあとの排出される水には、垢や汚れが浮いていたと記録までされています。

漢の時代

漢は、沐浴のレベルが飛躍的に発展した時代でした。

時の皇帝はこんな命令をしています。
「宮殿で仕える者は、三日に一度は髪の毛を洗い、五日に一度は身体を洗いなさい。臭くてかなわん。帰宅して、身体を清めてからまた出仕しなさい」

身体を洗うのはわかるとしても、髪の毛を洗う頻度高すぎじゃね?
日本人からしたら身体を洗うのと同じ頻度でもいいと思いますよね。

実は、古代中国人は、髪の毛を切らずに、巾で髪を束ねていた(束髪)ため、垢やホコリがたまりやすかったようです。

▽「束髪」

臭さで人を不快にさせないよう、入念に洗えよっていうことですね。

漢の時代には、浴槽も普及していきました。
銅製の桶や木桶などさまざまなものがあったようです。

▽銅製の桶

▽木製の桶

身体を洗うにはどうすればいいのか?
ちなみに、当時は石けんなどありません。

身体を洗うために、澡豆(小豆などの豆をするづぶしたもの)を身体や髪の毛を洗う石けん代わりとして使っていたようです。

▽澡豆

また、米のとぎ水の代わりに使うようになるのもこの頃から。
心身を清める目的でお香や香草をお湯に入れたりと、米のとぎ水が肌に良いことに気付いて、お湯の代わりに使用したりしたようです。

南北朝時代

東晋の初代皇帝である元帝も沐浴を好みました。

▽元帝

息子の皇太子から、沐浴がめんどうではないか?と質問されても
「髪と身体を洗って汚れを落とすってとても気持ちいいだろ?めんどくさくなどないわ」
と言っています。

沐浴を頻繁に行うことが、社会的地位を表すほど大事な要素となった時代。

南朝梁の簡文帝は、沐浴が好きすぎて「沐浴経」という本まで書いています。

唐代

力をもった王侯貴族は、沐浴にあきたらず、「温泉」にハマりはじめます。

実は、沐浴で使う水は、単なる水であって温水ではありませんでした。
真夏でも真冬でも水に入って身体を洗う。
寒ければ、わずかに温水をかけて暖を取る。
大量の水を温める技術がないので、こうするしかなかったわけです。

その点、温泉は全身を温めてくれる最高の天然沐浴でした。
唐では、温泉の近くに屋敷を建てて、別荘のように使用していました。

楊貴妃も大の温泉好きとして知られています。

長安近く、驪山のふもとにある温泉近くに「華清池」という巨大な宮殿を作り、毎年寒い時期になると、玄宗皇帝と一緒に温泉浴に行ったようです。
※ただ、楊貴妃がやたらと温泉を好んだのは、温泉に浸かれば、悩みのワキガが治ると信じていたからという俗説もあります。

▽現代に残る「華清池」の遺構

宋代

今までは、沐浴も温泉浴も、王侯貴族の特権のようなものでした。
そもそも家に設備がない庶民には無縁の習慣だったんです。

しかし宋代に経済が繁栄し、都市や街との交流が活発になると状況は一変。

一般人が沐浴できる公共浴場のような施設がオープンします。
浴場には、お湯をはった大きな浴槽があり、そこで身体を綺麗にする文化が生まれました。

あんま・マッサージのようなサービスもあったようです。

王安石は不潔?

政治改革で有名な官僚 王安石は、当初沐浴嫌いで有名でした。

▽この記事でも、王安石について紹介しています!
中国史上、最も高給取りなのは宋の官僚だった?

王安石の沐浴嫌いは徹底しており、身体を洗わないために全身が垢で黒ずんでいたとか。
その不潔さから、家族や使用人も病気にかかってしまったほどでした。

あまりの不潔さに耐えかねた友人が公共浴場に行くよう進めたところ、王安石は沐浴の気持ちよさにハマり、何度も通い詰めるほど清潔になったといわれています。

明代・清代

上述した浴場がグレードアップ。
「混堂」が誕生します。

日本でいう浴衣の提供をしたり、部屋の種類も暖かい部屋や冷たい部屋、茶室や床屋などサービスが増えていきました。

明清代は、身分や貧富の差も激しい時代でしたが、この混堂は身分や貧富の差に関係なく、皆が平等に入ることができたと言われています。

また、一般庶民も家で木桶を使って入浴する習慣も広まり、衛生観念はかなり向上していました。

まとめ

中国人も温泉や桶風呂に入っていたことは知りませんでした。

熱いくらいのお湯につかるのは日本人特有かもしれませんが、入浴を愛する気持ちは同じアジア系として似ていますね。

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