中国の歴史を調べると、名君より暗君のほうが多いことに気づきます。
そのなかでも特に数多くの暗君が誕生したのが南北朝時代。
一癖も二癖もあるような個性的な面々が登場します。
とくに、南朝の宋と斉は信じられないような暗君のオンパレード。
▽南朝宋の地図
中でも、前廃帝・後廃帝という両帝は図抜けています。
質が悪いのは、彼らは暗君でもあり、人に危害を加える暴君でもあったこと。
害悪したもたらさない畜生皇帝でした。
数十年間引きこもって遊んだばかりいた明の万暦帝なんて全然マシです。
今日は、その前廃帝・後廃帝という二人について紹介します。
目玉を蜜付けにして鑑賞~前廃帝~
まずは、前廃帝から。
名前は劉子業といい、宋朝第4代の孝武帝の嫡男として生まれました。
幼いときから、劉子業には家臣を意味もなく殴るなど残虐な面があったようです。
また、実の妹である海塩公主と不義を働くなど淫虐な行為が多く、父である孝武帝から厳しい叱責を受けて育っています。
そのため、劉子業は父の孝武帝をとても憎んでいました。
父の墓に糞尿をかける
孝武帝が亡くなると、なんと劉子業は恨みのあまり父の墓を暴こうとします。さすがに家臣たちも懸命に諫めたので、墓に糞尿をかけることで憂さを晴らしました。
また、母親が病気で危篤状態になったときも、「病室には鬼や幽霊が多いという。なぜ婆のためにそんな危ない場所に行く必要があるのだ」と暴言を吐いて、見舞いを拒否する有り様。
その言葉を聞いた母親が怒りのあまり、「早く刀を持ってきなさい!どうしてこんな親不孝者を産んだのだろうか。あの子の腹をさばいて殺してやろう!」と言ったほど。
このように即位前からヤバさが際立ってましたが、即位後は残虐さもプラスしていよいよどうしようもなくなってきます。
▽中国ドラマ「鳳囚凰」より
近親相姦を繰り返す
前廃帝は、異常なほどの淫乱で有名でした。
即位前も実の妹に手をだしていますが、即位後は見境がなくなります。
まず、姉であり、美貌をうたわれた劉楚玉に夢中になります。
劉楚玉自身は、家臣の妻となっていたのですが、そんなことこの少年皇帝にはお構いなし。
なんと公然と姉に迫り、身体の関係を持ってしまったのです。
この劉楚玉も男好きで有名であり、彼ら姉弟はまるで夫婦に仲睦まじかったといいます。
しかし、前廃帝が姉に飽きてしまうと、姉をポイ捨て。
劉楚玉は恨み言を述べました。
「陛下には宮殿に何万人もの愛妾がいるのに、私には婿一人しかいません。同じ父親の子であるのに不公平ではありませんか」
それも道理だと納得した前廃帝は、選りすぐりの美少年30人を劉楚玉にプレゼントして姉を満足させ不満をなだめています。
姉に飽きた前廃帝は、次のターゲットとして伯母の劉英媚に狙いを定めます。
この劉英媚も夫がいたため、前廃帝はなんとかしてこの伯母を自分のものにしようと画策。
「伯母の劉英媚は、宮中に参内した際に容体が急変し、死亡してしまった!」
嘘の発表をして、伯母を謝氏という別人に仕立てることで自分の妃としてしまったのです。
当然こんな嘘が隠せるはずもなく夫の何邁は激怒。
前廃帝の廃立を計画しますが、実行前に計画が漏れて殺されてしまいました。
さらに近習の者たちの前に、宮中の貴婦人を並べ立てて、彼ら近習に貴婦人を犯すよう無理やり命令して行為をみて楽しむといった異常性癖も持っていました。
※後述する「殺王」劉休仁の実母も、公衆の面前で犯されるという辱めを受けています。
人妻であろうが、自分の気に入った美女は強奪して自分のものにする。
倫理や節度など欠片もなかったのです。
家臣の誅殺と皇族への虐待
前廃帝は、気分で人殺しをしました。
まず、父の孝武帝が補佐役として就けた耳障りなことばかり言う重臣を理由をつけて誅殺。
他にも気にくわない大臣や家臣がいると、自ら衛兵を率いて突入し、次々に殺していきました。
弟の劉子鴬さえも、父親から自分よりも可愛がられていたという理由だけで殺害しています。
※ちなみに劉子鴬の同腹の弟妹も皆殺しにされています。
また、叔父である父親の兄弟たちがとても目障りだったようで、彼らを「豚王」「殺王」「賊王」などとけなしていました。
前廃帝は彼ら叔父たちを、竹籠に閉じ込め、四つん這いにして飯を食べさせるなどひどい仕打ちをしていました。
その中でも、特に目の敵にされていたのが、劉或(のちの第6代明帝)。
劉彧は太っていたため、「豚王」と呼ばれていましたが、前廃帝は目の前で彼を裸にさせて、泥水の張った大穴に入れ、豚のように雑草と飯を混ぜた桶を口から直接食わせたこともあったようです。
▽中国ドラマ「鳳囚凰」より
泥水に入れられる猪王
▽中国ドラマ「鳳囚凰」より
檻のなかの猪王
また、前廃帝が寵愛する妃の子を皇太子にしようとした際、「豚王」劉彧が反対したため、激怒して劉彧を殺そうとしました。
その時は、「殺王」と呼ばれた弟の劉休仁が「豚めを殺すのはまだ早いです。皇太子の誕生を祝ってからこいつの肝臓と肺を取って殺せばいいでしょう。」と機転をきかせたため、劉彧は生き延びることができたといわれています。
目を蜜漬けにして見世物にする
前廃帝のあまりの暴虐ぶりに皇族の劉義恭(太祖劉裕の五男)は廃立を計画しますが、事前に露見して殺害されてしまいました。
怒りの治まらない前廃帝は、劉義恭の遺体をバラバラにして、内臓を裂き、目玉をくりぬいて蜜漬けにして「鬼目粽」と名付けて見世物にしました。
その後、前廃帝はとうとう前述の「豚王」「殺王」「賊王」の三王を殺そうとしますが、皇族たちが次々と殺される様を見ていた「豚王」劉彧のクーデターによって逆に殺されてしまいました。
その最期も情けないことに、華林園というハーレムで寵姫と鬼ごっこをしている最中に鬼に扮した刺客により暗殺されたようです。
▽中国ドラマ「鳳囚凰」より
メッタ刺しにされる前廃帝
「天性好殺」~後廃帝~
前廃帝だけでなかなかのヤバさですが、今から紹介する後廃帝は、もう快楽殺人者ともいうべき、斜め上を行くぶっとんだ残虐皇帝でした。
後廃帝の本名は、劉昱といい、第6代皇帝の明帝(前述の劉彧)の嫡男でした。
ノコギリ片手に片っ端からバラバラ殺人
後廃帝は、三度の飯より殺人好き。
若いときから乱暴で、夜になるとふらっと宮中を抜け出しては不良の友人とともに動物・人関係なく動くものは殺しまわりました。
金づちやノコギリなど凶器がお気に入りで、目の前に民がいるのを見つけると片っ端から殺して八つ裂きにしたといわれています。
街中の民は恐れ、誰も家から出ずに引きこもるようになったため、獲物が見つからずに一人も殺せなかった日などは、非常に不機嫌になったようです。
歴史書では彼のことを「天性好殺」(生まれながらにして殺人を好む)とキ〇チガイ扱いしています。
将軍の腹を裂く
こんなエピソードがあります。
後廃帝はニンニクが好きでいつも食べている将軍がいることを思い出しました。
「将軍の腹はいつも膨らんでいて太鼓のようだな。あの中もニンニク臭いのか?いっちょ掻っ捌いて調べてみるか!」
気になったら止まらない後廃帝は、将軍の腹を裂いて殺してしまったといわれています。
※当然、ニンニク臭くなどないのですが。
また、こんな話も。
ある日、無性に強盗というものをしてみたくなった後廃帝は、取り巻き数人とともに一番の富豪の民家に白刃をふるって強盗に押しかけました。
民家の主人は、皇帝が強盗にきたと知って仰天しますが、どうしようもありません。
ただ、どのみちこの殺人皇帝に殺されることがわかっていたので、後廃帝の耳を殴り、「この暴君が!」とののしりながら殺されてしまいました。
簫道成の腹を弓矢で狙い撃ち
やりたい放題の後廃帝でしたが、一つの行為が彼の人生に終わらせる結果になります。
後廃帝はある日、宋の重臣であった簫道成(のちの斉の太祖)の屋敷に押しかけ、上半身裸で寝ていた簫道成を発見しました。
あまりに見事な太鼓腹をみて、「その太った腹を的にする。弓矢で射させろ」と言って、なんと簫道成を矢で射ようとしたのです。
▽斉の創始者である簫道成
簫道成の母と随行した家臣たちが必死に止めたため、簫道成は的にならずにすみましたが、いつか殺されると感じた簫道成は反乱を決意。
クーデターを起こして、後廃帝を暗殺してしまいました。
のちに簫道成は宋を滅ぼし、斉を建国しています。
まとめ
二人の廃帝がいる宋ですが、前者は嫌いだったり恨みを持つ者は容赦なく殺しまくり、後者は単に快楽で殺しまくりました。
二人ともかなり残虐で危険な皇帝ですが、後廃帝のほうが異常性では抜きんでてます。
個人的にこの後廃帝は、中国史上最悪の畜生皇帝ではないかなと思います。
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