秦檜は金のスパイだった?~岳飛をえん罪で処刑した南宋の宰相~

五代十国・宋

中国で奸臣といえば、真っ先に思い浮かべるのは南宋の宰相だった秦檜みたいです。

それはなぜか?

秦檜は中国で最も人気のある岳飛を謀反の罪で処刑し、南宋の領土回復をみすみす放棄したとして、後世の人から売国奴とみなされてるからです。

今日はそんな奸臣 秦檜について調べました!

北宋時代は気骨があった?

秦檜は、南宋の前の北宋時代から官僚として仕えていました。

そのときの官職は、太学楽正。
今でいう官僚養成機関の教授みたいな仕事をしていたようです。

1127年に金軍が北宋の首都である開封を包囲して脅しをかけてきたとき、宋側は領土を割譲をして講和しようとする意見がでましたが、これに対して秦檜は断固反対するよう主張しています。

若いときの秦檜は、のちの和平派のイメージとはかけ離れていました。
どちらかといえば金への徹底抗戦派だったようです。

▽中国ドラマ「精忠岳飛」より~若いときの秦檜~

しかし、靖康の変が起きると秦檜も金軍によって北方に連行されてしまいました。

金での謎の厚遇

ただ、他の家臣たちが北方の辺境地帯に連行されたのに対して、秦檜は金の太宗の弟である完顔昌の召使いとされるなど、虜囚のなかでは比較的良い待遇を受けていました。

なぜ秦檜だけがこんなに待遇がよかったのかはわかっていません。
一説には、この時点で宋に見切りをつけ、金に臣従をしていたのではないかとも言われていますが真相は不明です。

秦檜はその後2年間、完顔昌に付き従って南宋への攻撃に従事しています。

南宋への脱出(スパイ疑惑あり)

しかし1129年、秦檜は突如、妻や家族を引き連れて南宋の首都である臨安に姿を表しました。

▽中国ドラマ「精忠岳飛より」~金に連行された秦檜~

北方に連行された官僚がいきなり現れたため、南宋の人達はびっくり仰天。

不審に思った南宋の官僚が尋ねたところ、秦檜はこう言いました。
「私は、監視役を殺して脱走した。その後、小舟を漕いでこの臨安まで逃げてきたんだ!」

しかし、多くの人は、本当の話なのか怪しんでいました。
秦檜の主張には、疑問に感じる点が多すぎたのです。

金の領土から南宋の臨安までは、かなり距離があり、単独で逃げるには遠すぎる。
そもそもどうやって監視役を殺したのか?
小舟で逃げるにしても、各所の検問をどうくぐり抜けたのか?
妻の王氏や家族も捕虜だったはずなのに、どうやって解放したのか?

これらの疑問に対して秦檜は明確に答えませんでした。

しかし、秦檜と北宋時代から付き合いがあった南宋の重臣たちがこの話を鵜呑みにして、彼を南宋の皇帝となった高宗に引き合わせたため、疑いはうやむやのままになりました。

このことから、実は秦檜は金のスパイなのでは?という疑惑が残ることになります。

政敵の排除と順調な出世

高宗に謁見した秦檜は、驚くべき提言をしました。
「平和な世の中にするには、北は北。南は南と別々に物事を考えなければなりません。私が以前、奴隷として仕えていた金の皇族も同じ思いです」

▽中国ドラマ「精忠岳飛より」~高宗に拝謁する秦檜~

この提言をきいた高宗は大喜び。
秦檜を無二の忠臣だとほめたたえ、厚遇するようになりました。

実は高宗は、父の徽宗と兄の欽宗が金に連行されたために皇帝に即位した経緯もあって、積極的な対金政策は望んでいませんでした。
もし金軍に勝ち続けて有利な状況になれば、この二帝が南宋に返還されるかもしれません。
そうなれば、道理上は高宗は皇帝の位を返上する必要があります。

南宋の地盤を固めたいが、二帝が返還されるまでの成功は不要。
そんな考えをもつ高宗からすれば、秦檜の政治方針は自分の思惑と合っていました。

▽中国ドラマ「精忠岳飛より」~密談する高宗と秦檜~

影で高宗の支援を受けた秦檜は、朝廷での権力地盤を固めていくことになります。

南宋も初期の頃は、金への徹底抗戦派が政治の中枢を占めていました。
彼らは、秦檜が金のスパイでないかと疑っていたのもあり、高宗に対して秦檜を重用しないように提言しました。

しかし、秦檜は冷静でした。
南宋の戦力が金に対抗するには少なく、戦う利益がないといって他の官僚を説得し自分のブレーンにしていきます。
内心、同じ考えをもっていた高宗の同意もあり、のちに名臣と呼ばれる趙鼎や張浚、李綱など主戦派官僚をつぎつぎに排除していきました。

高宗との不思議な関係

秦檜は高宗の信任を得て、ついには同中書門下平章事という宰相職に就任するまでになりました。しかし、そんな秦檜も高宗から必ずしも全面的に信用されていたわけではなかったようです。

南宋設立から数年経ったころには、岳飛を筆頭とした優れた武将たちが金軍に勝って奪われた都市を取り戻すようになりました。

このまま奪われた華北地方さえも奪回できるのでは?
そういう風潮が南宋の朝廷に広がりましたが、それでも秦檜は南宋側から金に和議を申請する形を取り続けていました。

そして1138年に、和議のために金の使者が訪問した際、秦檜や彼の息のかかった政治家は、金の使者に臣下としてあいさつをしました。
秦檜は高宗にも臣下としてあいさつをさせようとしましたが、高宗は「私は先祖代々の帝位を継いでいる。なぜ金の使者に頭を下げねばいけないのか!」と拒絶をしました。

▽中国ドラマ「精忠岳飛より」~高宗を説得しようとする秦檜~

高宗は和平には賛同していましたが、金に頭を下げるいわれはないと断ったのです。
秦檜の面目は丸つぶれになりました。

このエピソードにも、和平を主張する秦檜のやりすぎな姿勢が表れており、彼が金のスパイではないかと疑われる要因となっているのです。

岳飛の謀殺

1141年、秦檜は金との国境最前線にいる武将たちに、ただちに戦いを停止して軍隊を解散するよう命令しました。
この時期、南宋の北伐軍の勢いは凄まじく、旧都開封の奪還まであと一歩という矢先でした。

▽中国ドラマ「精忠岳飛」より~北伐する南宋軍~


そんな絶好のチャンスの中でも、秦檜は金との和議の方針を貫き通したのです。
さらに強硬な主戦派である岳飛には臨安に出頭させ、収監までしました。

▽中国ドラマ「精忠岳飛より」~主戦派の筆頭 岳飛~

和議の準備が整った秦檜は、高宗を説得して同年中に金を紹興の和議を結びます。
その内容は、南宋は金の臣下となり、毎年莫大な金銭を支払うという屈辱的なものでした。

また、牢獄に入れていた岳飛を謀反を図った罪で処刑してしまいました。

▽中国ドラマ「精忠岳飛より」~牢獄の岳飛~

この時、岳飛とともに抗金戦で活躍していた韓世忠から、謀反の証拠がどこにあるのか尋ねられて「莫須有(あったかもしれない)」というあいまいな回答をしています。

この返答をきいた韓世忠は、「そんな理由で天下の人々が納得するか!」と秦檜に激怒しました。

成功しかけていた北伐を強制的に停止したこと、謀反の罪をでっち上げて岳飛を処刑したことで世間の秦檜に対する評判は最悪レベルまで落ちることになったのです。

高宗の厚遇と独裁政治

しかし、高宗はその後も秦檜を厚遇し続けました。
秦檜の自宅に行って家族に褒美を与えたり、秦檜が病気だと知ると見舞いに行ったり。

実は、和議が成立した直後、金の捕虜であった高宗の実母が南宋に戻っていました。

▽中国ドラマ「精忠岳飛より」~捕虜となっていた高宗の生母 韋賢妃~

家族を連行されて悲しんでいた高宗からすれば、秦檜は恩人だったのかもしれません。

秦檜は、その後も自分の取り巻き官僚を要職につけ、反対する官僚は左遷したり遠方に配流したりと朝廷を独占していきました。
その徹底ぶりは科挙にまで及び、論文試験において少しでも和議に反対する内容を書いた受験生は合格できなかったと言われています。

しかし、秦檜は朝廷は支配できても世間ではとても嫌われていました。

こんなエピソードがあります。

1150年、金との和議に反発していた施全という軍人が、秦檜を暗殺しようと橋の下に隠れて、朝の出仕のために通りかかった秦檜を刺し殺そうとした事件がありました。
未然に捕まった施全は、「天下の全員が憎い金人を殺してやりたいと願っていたのに、秦檜お前1人のせいで適わなかった!私はお前を殺してやりたい」と秦檜をののしったようです。

激怒した秦檜は施全を即処刑しました。

しかし、施全は忠義の士として今でも岳飛とともに英雄としてたたえられています。

死去~その後~

そんな独裁政治をした秦檜も1155年に死去しました。
高宗は、何度も秦檜の見舞いをして、死んだあとに盛大に弔いました。

しかし、高宗は近習に対して「やっと靴のなかの針がとれたようだ」と語ったとも言われており、実際に高宗が秦檜のことをどこまで信用していたのかは現在でも不明のままです。

秦檜死去後も、朝廷は和平派の官僚が多く占めていたためしばらくは平和が続きました。

しかし、時が経つと、秦檜は金と屈辱的な和議を結んで領土回復のチャンスを奪った者という意見が大半を占めていき、奸臣とみなされるようになっていきました。

南宋が滅び、王朝が交替しても、秦檜は批判され続け、現代でも売国奴として秦檜夫婦が跪いている銅像が設置されているほど国民からの印象は最悪のままです。

▽杭州にある秦檜夫婦の銅像

まとめ

秦檜が本当に金のスパイだったのかは史料も少なく、わかりません。
ただ、金と和議を結んだ結果、南宋はしばらく平和な時代が続いたことも事実です。

しかし、主戦派である岳飛を無実の罪で殺して、領土回復のチャンスを永遠になくしたことも事実であり、現在でも秦檜の評価は大きく分かれています。

皆さんは、秦檜は金のスパイだったと思いますか?

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