恐怖の尻叩き! 屈辱の刑罰「廷杖」とは?

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昔の中国にはたくさんの種類の死刑がありました。
斬首刑・絞首刑・凌遅刑・腰斬刑・車裂き刑・・・
どれも即死する処刑方法ばかりです。

しかし官僚にとって、ある意味で死刑よりも恐ろしい刑罰がありました。
その名は「廷杖」

なんだ、死刑じゃないならガマンできるんじゃない?
そう思いがちですが、この刑罰は想像以上に残酷で屈辱的なものだったのです。

今日は、この廷杖の刑について調べてみました!

廷杖ってどんな刑罰なの?

ざっくりいうと、廷杖とは、皇帝が気に入らない臣下の尻を叩け!と命令することができる超法規的な刑罰でした。
後漢時代から名前としてはあったようですが、実際に行われたのは明代からです。

そもそも、古代中国では、杖罪という刑罰がありました。
その方法は、受刑者のお尻をむきだしにして、木製の杖で叩くものでした。

▽清末の杖罪を行っている様子。

この杖罪を皇帝自らの命令で行ったのが廷杖でした。

杖罪では、平らに削った凹凸のない杖を使用していたので、受刑者が死ぬことはめったになかったようです。
しかし、廷杖は、そんな軽い程度で済む刑罰ではありませんでした。

廷杖で使う執行道具は?

廷杖では、普通の杖よりもはるかに重くて堅い棍棒が使われていました。
漢字で杖とは書きますが、普通の杖罪とは完全に別の道具でした。

▽杖罪で使われた棒

廷杖では、堅い栗の木を削り、鉄釘が付いた鉄皮で先端を覆ったものを使っていました。

▽これに近い感じだったようです。

まるで鬼がもってる金棒ですよね。
こんなので尻を叩かれたら、たまったもんじゃありません。
もうほとんど武器なんじゃないか?と思うくらいです。

屈辱の尻丸出し

明では皇帝は絶対的な存在でした。
少しでも皇帝にとって気にくわない発言をしようものなら、すぐに廷杖が行われたようです。

では、廷杖はどのようにされたのか?

まず、官僚あてに宮殿に来るようにとの通知が届きます。
受け取った官僚が震えながら宮殿に着くと太監(宦官の上級職)と錦衣衛(皇帝の近衛兵)が待ち受けています。

大監が皇帝の命令で廷杖を行うことを叫ぶと、待ち構えていた錦衣衛が官僚をうつぶせに押さえつけ、強制的にズボンを脱がします。

そして、「一・二・三・・・」という掛け声にあわせて、上述の鉄釘のついた棍棒で尻を叩きました。

科挙に合格したエリート官僚にとって、宦官のまえで尻を丸出しにさせられるだけでも、プライドをズタズタにされる屈辱的なものだったでしょうが、それ以上にかなりの激痛が待ちうけていました。

10回叩かれたら、数か月は傷の痛みで寝込むことになる。
30回叩かれたら、後遺症が残り、不自由な生活を送らざるを得なくなる。
70、80回叩かれたら、その者は死んでしまう。

それほどの激痛をともなう刑罰だったのです。
鉄釘でやわらかい尻を何十回も叩かれれば、どうなるか?
叩くうちに、尻の肉は裂かれ血が飛び散ります。
あまりの恐怖と激痛で、大小便を漏らしたり、失神する者も多かったといわれています。

官僚にとって、廷杖とは、死刑にも匹敵する恐怖の刑罰でした。

恣意的な刑罰

とくに正徳帝の時代は、廷杖の回数が多かったようです。
正徳帝とは、政治を放棄して快楽にふけった明朝でも屈指の暗君でした。

▽正徳帝についてはコチラで紹介しています。
【中国 明代】正徳帝ってどんな人?~ワガママ皇帝を逸話を含めて紹介~

ある日、正徳帝は住まいの北京をでて江南地方にふらっと遊びに行こうと思いつきました。
遊びといっても、皇帝が遠出するには、たくさんの警備や沿道の整備等でかなり出費がかさむため、多くの官僚たちがやめるように反対をしました。

しかし、これが正徳帝の怒りを買うことにつながったのです。

146名もの官僚に廷杖が執行され、11人が死亡。

また、正徳帝から寵愛を受けた宦官の劉謹は、皇帝の威光をかさに賄賂を要求したり、皇帝の命令と称してやりたい放題の政治をしていたため、官僚たちからはとても嫌われていました。

そのため、劉謹を排除するよう何度も皇帝に上奏分が届きました。

しかし、劉謹は、官僚の上奏文を唯一皇帝に通す権限をもつ司礼監掌印太監という宦官の最重要ポストに就いていました。
劉謹はこの権限を悪用します。

皇帝の目に入る前に、自分にとって都合の悪い上奏文は握りつぶし、逆に官僚が不正をしていると皇帝に讒言をしたため、劉謹の意向によって、数多くの忠義に厚い官僚が廷杖の刑を受けたといわれています。

結果として、劉謹がらみで23人もの大臣級の官僚が死にました。

結果、明はどうなったか?

いくら皇帝に上奏しても、無視されたり皇帝やお付きの宦官の気分で廷杖をされては、官僚もたまったものではありません。

「国をおもって真面目に進言しても刑罰を受けるなら、何もしないほうがマシだ」

官僚たちはやる気を失い、明朝後半では皇帝の意向に従うだけのワイロを貪るばかりの無気力な官僚ばかりになっていきました。
その結果、国が傾いても忠義を尽くす家臣が少なくなり明は急速に滅亡に向かうことになっていきました。

あの珍妃も廷杖を受けていた?

廷杖は明だけでなく、次の清朝でも行われました。
珍しい事件として、清朝末期の光緒帝が愛した悲劇の妃である珍妃も廷杖の刑を受けています。

珍妃が廷杖を受けたはっきりとした理由はわかっていません。
しかし、文献からみると

  • 彼女が皇后を差し置いて光緒帝の寵愛を得たことで、嫉妬した皇后が、時の権力者であった西太后に不満を述べた。
  • 宦官に美人等ちやほやされるために金銭を渡すうちに、給金だけでは足りなくなり、売官して裏収入を得ていたことがバレた。

の2つの理由から、西太后の怒りを買ったことが真相だといわれています。

いずれにしても、珍妃は清で唯一、妃の身分で廷杖を受けた者となってしまいました。

正史には記載がありませんが、廷杖の刑を受けた珍妃は、お尻をむき出しにさせられて、竹の棒で何十回と叩かれたようです。

その結果、恐怖と痛みで珍妃は失神。
妊娠していましたが、流産してしまい二度と子供が産めない身体となってしまいました。

その後珍妃は、西太后に殺されるという悲運をたどっています。

まとめ

廷杖は、ほぼ明代特有の刑といっても過言でないようです。

せっかく頑張って科挙に合格してエリート官僚になっても、死ぬかもしれない廷杖を受けるくらいなら、真面目に仕事をしたり、皇帝に意見を言う気力も失せますよね。

ここらへんに、明朝の闇があるような気がします。

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