中国史の三大悪女といえば、呂后・則天武后・西太后と決まってます。
たしかに彼女たちは、皇帝を操り好き政治を牛耳ったとして後世の人に批難されがちですが、国が滅亡する直接の元凶だったわけではありません。
むしろ、賢臣を登用したため国としては安定していたとも言われています。
しかし、三大悪女がマシに思えるような真の悪女が中国史上にはいました。
その女性は、賈南風。
晋(西晋)第二代皇帝恵帝の皇后です。
正直、彼女がいたから晋は滅亡したんじゃないかと思います。
存在しなかったほうがマシだった。
本気でそう思えてしまうような屈指の悪女・ 賈南風を紹介します!
司馬炎に「色黒のブス」と酷評された少女
賈南風は、晋の高官であった賈充の娘です。
賈充といえば、武帝(司馬炎)の懐刀として晋朝建国の立役者となった功臣。
相当な家柄の娘です。
功臣の娘というからには、嫁ぎ先もかなりの家柄でないとつり合いが取れません。
そのため、賈南風は皇太子・司馬衷の嫁候補としてリストアップされます。
しかし、彼女には最大の弱点がありました。
それは、相当なブスだったこと。
あまりの容姿の悪さに、武帝はこんな評価をしています。
「嫁候補としては、賈充の娘はまったく納得できん!
あの女は、嫉妬深く色黒で、背が低いブスではないか!」
▽晋の初代皇帝である武帝こと司馬炎
性格がいいとか家柄がいいとかそんなものは二の次。
容姿の美しさが一番目をひくのは、古今東西を問わず同じです。
哀れ、賈南風は容姿に恵まれていなかったため(むしろブスだった)、皇帝にさえも名指しで醜いと言われる始末でした。
まあ、武帝も美女を何万人と囲うようなドスケベですからね。
顔や容姿にはうるさかったのでしょう。
▽武帝の好色ぶりはコチラで紹介しています。
ドスケベな皇帝たち~晋の武帝 司馬炎~
人を見かけで評価するのが良くないのは今も昔も同じ。
それでも、面と向かって皇帝からも暴言を吐かれた賈南風は相当傷ついたと思われます。
少女時代からブスよわばりされ続けた賈南風は自分のルックスに劣等感を抱き、性格的にも陰険でひねくれた女性に成長してしまいました。
皇太子妃に選ばれる
しかし!
最終的に賈南風は司馬衷の嫁に選ばれることになりました。
決定権をもつ武帝は、ブスだと一蹴していたのになぜか?
実は、賈南風の母親が裏で武帝の皇后や家臣たちにワイロを渡して、娘を皇太子妃にするよう働きかけていたのです。
「うちの娘を皇太子さまの嫁にするよう、ぜひとも陛下に取り計らってくださいませ!」
このままでは嫁ぎ先がなくなってしまう。
そう思った母親は、娘をなんとかして嫁がせようと必死でした。
ワイロを受け取った皇后や家臣たちは、賈南風を皇太子妃にするよう武帝に勧めます。
「賈充殿の令嬢なら、才知にあふれ、皇太子様を立てていけるでしょう。陛下、ご決断を!」
毎回のようにしつこく言われ続けた武帝も、断り続けるのに疲れたのかもしれません。
とうとう賈南風を皇太子妃にすることを決めました。
この武帝の決定が、晋の命運を破滅に導くとは当時、誰も思ってなどいませんでした。
嫉妬と逆恨み
さて、皇太子妃となった賈南風は、とたんに問題を起こします。
夫の司馬衷と妾との間に子供ができたことがわかると、嫉妬にかられた賈南風はこの妾ごと子供を殺してしまったのです。
実の孫を殺された武帝は激怒。
賈南風を幽閉の上、皇太子妃の地位を廃そうと真剣に考えました。
いきなり絶体絶命となった賈南風。
しかし、ここで彼女に助け船が入りました。
武帝の皇后(二番目の皇后)である楊芷が、「賈南風は嫉妬深いとはいえ、父の賈充の晋室への大功を忘れてはなりません」と言って必死に賈南風をかばったため、武帝の怒りも低下。
▽武帝の二番目の皇后 楊芷
賈南風は沙汰なしとなり、皇太子妃の地位に留まることができたのです。
この楊皇后は優しく温和で、気配りのできる女性でした。
その後も、賈南風の生活態度や宮中でのふるまいをたびたび注意をしたようです。
彼女としては、未来の皇后である賈南風に礼儀を教えようとしたのかもしれません。
しかし、この楊皇后の行為はまったくの逆効果となってしまいました。
「この女は、陛下(武帝)の前でわざと私を貶めようとしている。許せない!」
賈南風は、楊皇后が自分をバカにしていると勘違いするようになりました。
しかも、自分をかばってくれたのが楊皇后だと知らなかったこともあり、楊皇后に逆恨みするようになります。
美女といわれた楊皇后に嫉妬していたのかもしれません。
悪女の片鱗
そんな時、武帝が崩御。
皇太子である司馬衷が即位(恵帝)すると、賈南風も皇后になります。
しかし、朝廷の権力を握ったのは、皇太后となった楊芷の一族でした。
とくに楊芷の父である楊駿は外戚の立場を利用してやりたい放題。家族を高位高官に就けて贅沢三昧をします。
この楊一族の専横に、権力欲が強かった賈南風は、我慢できませんでした。
官僚たちや、恵帝の弟である司馬瑋と楊一族の廃除を計画・実行に移します。
そして、夫である恵帝に、楊一族の謀反を上奏。
「楊一族は陛下の帝位を奪おうと謀っておりますわ。速やかに捕縛の詔を!」
恵帝は、父の武帝からもバカ過ぎて廃太子を検討されるほどの無能でした。
▽第2代皇帝 恵帝
彼は気が強い賈南風に普段からビビりまくり。
賈南風の勢いにのまれて、よく調べもしないまま楊一族の捕縛を命じました。
勅命により、楊一族は大逆罪により一斉に捕縛の上、処刑されました。
残りは皇太后の地位を廃され、幽閉された楊太后。
「あの女は、先帝(武帝)の前でさんざん私のことを辱めた。絶対に許せるものか!」
楊太后を異常に敵視していた賈南風。
助けられた恩義などどこへやら。
楊太后を宮殿の一室に幽閉の上、8日間も食事を与えずに餓死に追い込んでしまいました。
こうして、憎き楊一族を抹殺することに成功したのです。
ドン引きするほどの男漁り
中国史上の気の強い皇后たちは権力欲だけでなく、性欲が強いもの。
賈南風も例にもれず、性欲の塊でした。
彼女は、市井に若くて自分好みのイケメンがいると噂をききつけては、彼らを無理やり木箱に押し込めて宮殿に連れてこさせ、夜な夜な淫らな行為に及びました。
ただ、こんな情事がバレたら、とんでもない醜態となります。
「皇后が街中の若者を拉致して、色事にふけっている!」
こんなことが大臣たちに知れ渡れば、あっという間に自分は廃后されてしまう。
そう考えた賈南風は、口封じのために情事のあとには彼らを全員殺害してしまいました。
やるだけやったら用済みってワケです。
でも、こんな妻の不倫に気付かないor気付いても何も言えない恵帝もよほどの暗君ですね・・・。
正義派官僚も抹殺!
しかし、これだけでは賈南風の暴走は終わりませんでした。
自分の立場が危うくなると判断すれば、手段を選ばず凶行にうつるようになります。
楊一族がいなくなったあとの朝廷は、司馬亮(司馬懿の3男)と衛瓘という2人がしきってました。
・司馬亮は誠実で人望があり、家臣からも慕われる皇族の筆頭格。
・衛瓘は晋建国に大功があった家臣として賈充と双璧をなす官僚。
そんな彼らは、賈南風がイケメンを攫って淫乱にふけるのを知って苦々しく思っていました。
「賈氏は皇帝陛下にふさわしくない!廃后を考えるべきだ」
しかし、いち早くその動きを感じ取った賈南風は、逆に二人の抹殺を決意。
またもや恵帝に「司馬亮と衛瓘は陛下の廃立を検討しています。速やかに捕縛の詔を!」とウソの報告をして、即刻二人を捕縛・殺害してしまいました。
政敵を殺しまわった賈南風。
しかし、彼女に政治的ビジョンはまったくありませんでした。
自分の一族を高位高官に就けて、自分は堂々と男漁りに夢中の生活をするようになります。
皇太子も毒殺!
やりたい放題の賈南風に家臣たちも不満を募らせていきます。
家臣たちにとって恵帝の皇太子である司馬遹が、英明であることが唯一の救いでした。
ただ、この皇太子は正室(賈南風)の実子でなかったため、賈南風に憎まれていました。
前述のように、賈南風は側室に子供ができると嫉妬で殺してしまうほどのヤンデレだったので、この側室の産んだ司馬遹のことも大嫌いでした。
司馬遹も賈南風のことを「なんだこの色黒ブス婆!」と嫌悪。
二人の仲は極限の冷戦状態だったのです。
そんななか、先手を打ったのはまたもや賈南風でした。
今までのように、賈南風は邪魔なこの皇太子も廃除・殺害しようと考えます。
まず、恵帝の命令として司馬遹を宮中に参内させ、大量の酒を飲ませてベロベロにしました。
そして事前に偽造して用意していた文書を司馬遹に複写するよう命令。
「私は皇帝と皇后(恵帝と賈南風)を廃して皇帝になることを望んでいる」
泥酔状態の司馬遹は何が何だかわかりません。
誘導されるまま、偽の文書をムリヤリ書かされてしまいました。
証拠はそろった!
賈南風はこの文書を恵帝にみせ、「皇太子さまは恐れ多くも陛下を廃そうと密かに計画しておられます。すみやかに皇太子の位を廃して死を賜るべきです!」と訴えました。
もはや皇后の操り人形となっていた恵帝は何も反論することができません。
賈南風に言われるがまま、司馬遹殺害の命令を下すことになります。
実の子でも、賈南風が怖くて処刑命令を出してしまう。
晋の悲劇は、屈指の暗君と屈指の悪女が夫妻であったことに尽きます。
思わぬ最期
ただし、この詔は賈南風が皇帝をそそのかして書かせたことは誰も知る事実でした。
家臣たちはなんとかして皇太子の粛清を止めようと、王族の1人である司馬倫に賈南風廃后と皇太子復位の協力を密かに依頼します。
▽「八王の乱」の八王の一人である司馬倫
しかし、この司馬倫もとんでもない曲者でした。
すぐに動くことはせずに、司馬遹が殺されるのを待ってから、賈一族討伐を大義名分にクーデターを起こそうと考えていたのです。
その間に、家臣たちの願いもむなしく、司馬遹は皇太子の位を廃され、幽閉されます。
そして、賈南風の手配した者によって、無理やり撲殺されてしまいました。
未来の皇帝となるべき唯一の皇太子を失った晋。
最悪の状況に対して、とうとう司馬倫が挙兵。宮中に軍隊を率いて押し入ることになります。
挙兵を目にした賈南風は、恵帝に大声でこう呼びかけました。
「陛下!お逃げください。皇后である私が捕縛されたら、もはや陛下も退位させられますぞ!」
しかし、司馬倫はこの言葉を無視して、賈南風を捕縛。彼女を幽閉します。
賈一族も専横と国を乱した罪で多くの者が男女問わず誅殺されました。
こうなると、賈南風の運命も終わりです。
幽閉されて数日後、彼女は毒入りの酒を飲まされて強制的に自害をさせられ生涯を終えました。
その後
賈南風と賈一族排除目的とはいえ、王族の1人にすぎない司馬倫が朝政を掌握したことに他の王族は猛反発をしました。
賈南風による粛清により、もはや中央政府には混乱を収める力をもつ者がいませんでした。
その後は各王族が入り乱れて内乱を起こし(八王の乱)、西晋は急速に衰退・滅亡にいたります。
正直、なんで賈南風が政敵を排除しまくったのか不明です。
自分の情事をバラされて廃后されるのがイヤだったのか。
もしくは、恵帝が簒奪されるのを防ぐために先手を売ったのか。
真相は不明のままです。
呂后・武則天・西太后
どんな悪女でも、政治を安定させたり、賢臣に政治を一任したりと良いところはあります。
賈南風こそが、国を亡ぼす元凶を作っただけの真の悪女といえるかもしれません。
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