中国畜生皇帝列伝② 妊婦を馬で踏み殺して楽しむ~斉の東昏候~

魏晋南北朝

南朝斉の東昏候 簫宝巻

この皇帝も中国史上トップ5には入るくらいの暴君です。

他の記事でも書いていますが、中国史上南北朝時代は暴君・暗君のオンパレード。
とくに暴君が多い印象があります。
個人的に暴君と暗君は区別してます。
暴君は有能だけど危ない存在。
暗君は無能だけど無害(個別に危害を加えない)存在。

そして、暴君・暗君の両方を備えたレアケースを畜生皇帝と呼んでます。

今日紹介する東昏侯簫宝巻も、この畜生皇帝に該当します。
ちなみに東昏侯は死後に付けられた号ですが、本名よりこちらのほうが有名なので、この記事では東昏侯で統一します。

人殴りが好きな皇太子

東昏侯は、皇族の大量を殺しまくったことで有名な明帝の息子です。

▽明帝についてはコチラの記事で紹介しています。
中国暴君列伝②~「豚王」とよばれた南朝宋の明帝~

東昏侯は幼いときから、内向的な性格で人と話すのを極度に嫌がりました。
これだけなら現代風にいえば単なる陰キャですよね。

しかし、東昏侯は人嫌いのくせに人を殴るのは大好き。
美女を追いかけまわすのに夢中で、
読書や勉強が大嫌いで人の言うことをききませんでした。

あまりにもどうしようもない皇太子でした。
親父の明帝も暴君で有名ですが、さすがに息子には全く期待をしていなかったようで、六人の重臣を補政にあたらせています。

明帝の葬儀を拒否

東昏侯の本領は、父親の葬儀から発揮し始めます。

当時、遺体はすぐに埋葬せずに白骨化するまで待つという風習がありましたが、東昏侯は「気持ち悪いからすぐに埋めちゃえ」と、風習をガン無視。
周囲の反対を押し切り、強引に埋葬してしまいました。

また、葬儀の際に哭礼といって大声で泣いて死者を弔う風習もあったのですが、これも「喉を痛めるからイヤだ」というしょうもない理由で拒否。

しかたなく、家臣が代行して哭礼をしましたが、その際に大臣の帽子が脱げて禿げ頭が露出したのをみた簫宝巻は葬儀中にもかかわらず笑い転げたそうです。

空気が読めないというか、物事を考える力が足りないんじゃないかというエピソードですね。

黄金の蓮の花で道をつくる

簫宝巻は、巨大な宮殿を造営したり、お気に入りの家臣に金銭をばらまいたりと、散財をしまくり他の暗君と同じく財政を破綻させました。

また、幼なじみの潘玉奴という美女に夢中になり、彼女のために金銀玉で道をつくり、その上に黄金でできた蓮の花を敷き詰め、彼女に裸足で歩かせては、仙女のような美しさにうっとりしてたようです。

これだけなら、なんて妻思いなんだ!となりがちですが、この何万枚もの黄金の蓮は民からの重税で搾り取ったものであり、東昏侯の暗君ぶりを表すエピソードとして有名です。

人馬で妊婦を踏み殺す

東昏侯は、ひと月のうちに20日以上は宮殿の外に出かけていました。

なにをしていたかというと、快楽殺人です。
民家に押し入っては、金目の物を分捕り、住民を殺して、家を壊して出ていきました。

東昏侯は人間が歩いているが目に入っただけで、むやみやたらに殺しまわったので、警備の者は簫宝巻が外出する時間帯は出歩かないよう住民に命令したほどでした。

このあたりの残虐さ、快楽殺人が大好きというサイコパスな性格は、宋の後廃帝に似てますね。
中国畜生皇帝列伝~南朝宋の前廃帝と後廃帝~

また、通行人を馬で踏み殺すことを好んで行い、なかには妊婦も対象になったようです。

母子とも馬で踏みつぶされる様をみて楽しんでいたと記録にも残っています。
このエピソードからも、かなりの残虐さがうかがえます。

気に入らない家臣を即処刑

あまりのヤバさに明帝が補佐を任せていた重臣たちも殺しの対象でした。

もともと人と話すのを嫌がる根暗な性格であっただけでなく、非常にキレやすいわがままな性格であったため、注意をしてくる耳障りな家臣は即刻殺害。

あまりの非道さと政治の緩みに反乱が起きますが、鎮圧に功をたてた簫懿という家臣でさえ歯向かった(注意をした)との難癖をつけて殺してしまいました。

反乱により宦官に殺される

この処罰に激怒した簫懿の弟である簫衍は、有力豪族を従えて大規模な反乱を起こしました。

▽梁の武帝 簫衍

この時には、皇帝の近習たちも東昏侯に呆れて見切りをつけていたようです。

反乱軍が宮殿内に侵入した際、馬蹄の音を聞きつけた東昏侯は逃げようとしますが、お付きの宦官二名によって切り殺されてしまいました。

その首は蝋で固められ、簫衍のもとに届けられたといいます。

寵姫であった潘玉奴など処刑され、東昏候(愚かな東の候)という惨めな号がつけられたのです。

最期に

あまりに宋や斉の皇帝たちの暴虐がひどすぎたためか、梁の建国に際して簫衍が簫宝巻を含む斉の皇族5人を殺したとき、「今回の慈悲深いお方だ。即位に際して5人しか殺さなかった」と言ったというエピソードが伝わっています。

宋の後廃帝も快楽殺人でヤバい性格でしたが、斉の東昏候は快楽殺人+散財で重税なので、民への苛酷さでいえば、東昏候が上かもしれないですね。

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