ドスケベな皇帝たち~金の海陵王~

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再開しました。
ドスケベな皇帝たちシリーズ。

今回紹介するのは、金の第4代皇帝 海陵王です。
この海陵王。中国でも屈指の暗君なので、暗君とドスケベのどちらに入れるか悩みました。

ただ、彼のドスケベ度合いはドン引きするほど常識や倫理から外れているので、このドスケベな皇帝たちシリーズに入れました。

じゃあ、どこらへんがドスケベなんだよ!という話ですが、海陵王の生涯を紹介しつつ、エピソードも書いていこうと思います。

金の皇子として生まれる

勝手に海陵王と書いてますが、これは死後につけられた名称で本名ではありません。
本名は女真語で完顔迪古乃。漢語で完顔亮は亮(漢語)といい、金の太祖である完顔阿骨打の孫として生まれました。

父は、完顔斡本といい、完顔阿骨打の庶長子だったので、血統だけでいえば海陵王は金の皇統では身分の高い家柄に生まれたことになります。

ただ、金は女真族の建てた国家であり、皇帝になる者も部族間で話し合って決めていたので、長男の家系だからといって皇帝になれるわけではありませんでした。

熙宗の暴走と帝位簒奪

海陵王の前の皇帝は熙宗でした。

▽金の第3代皇帝 熙宗


この熙宗は、太祖完顔阿骨打の嫡男(庶長子より格上)の子であり、同じ太祖の孫とはいえ海陵王よりも血筋がよいために皇帝に即位していました。

▽太祖の嫡孫が熙宗で庶孫が海陵王

この熙宗も最初は政務に励んだようですが、だんだん政務をサボタージュして怠惰な生活を送るようになりました。
ただ、サボっただけならまだしも、ささいなことで家臣を杖で打ったり、殺してしまったりと暴走しがちになっていったため、家臣や他の完顔氏一族からの不満が高まっていきました。

武勇と政治力の両方を備えていた海陵王は、熙宗の下で宰相など重職を歴任しますが、彼もまた、いつか猜疑心の強い熙宗から権勢を危険視されて処罰されるのではと危機感を抱いていました。

そのため、重臣や一族の者は、この海陵王と、熙宗を殺害する計画を企てることになりました。

▽共謀する重臣と海陵王

そして、1149年。
海陵王は、宮中の近衛兵や熙宗の近侍などを密かに味方に引き入れたうえで、熙宗を殺害しようと夜中に宮中に斬り込みました。

寝ていた熙宗は,異常な物音に気付くと寝台近くに置いてあるはずの佩刀を探しましたが、ありませんでした。実は、熙宗の近侍が海陵王の手下となって、事前に佩刀を別の場所にどかしていたため、丸腰となった熙宗は近衛兵や海陵王本人によって切り殺されてしまいました。

その後、海陵王や熙宗の叔父など自分の皇帝即位に反対しそうな皇族を、虚偽の招集をかけてだまし討ちにしています。

そして、同年に海陵王は第4代皇帝として即位しました。

海陵王の大いなる野望

皇帝に即位した海陵王は、3つの夢をかかげました。

・皇帝に即位する
・宋(南宋)を征伐して、中国統一する
・天下一の美女たちを娶る

このうち、上2つは野心ある者としては、当たり前に考えることです。
最後の夢についても、英雄色を好むというように、不思議じゃありません。

しかし、海陵王のそれは、常識や倫理をぶっ飛ばした鬼畜行為そのものでした。

皇族140人余りをまとめて処刑

皇帝に即位した海陵王は、いつ自分の地位がおびやかされるかヒヤヒヤしていました。

それもそのはず。
海陵王以外にも、完顔氏には何十人もの男性皇族がいて、皆皇位継承権がある者たちでした。
※皇族が多いからこそ、団結力が強く北宋を滅ぼすまで攻めることができたのですが。

そこで海陵王は、第2代皇帝の太宗の子孫たち(海陵王は太祖の孫)やその他の有力皇族たちを一挙に誅殺する策を練りました。

なんと、全員が謀反を企んだと強引に罪をでっちあげ、処刑してしまったのです。
そのなかには、海陵王の帝位簒奪に協力した功労者たちも含まれていました。

目障りな皇族たちを一斉粛清するだけでも恐ろしいですが、海陵王が行った真の恐ろしさはその後にありました。

後宮のなかは寝取った女性だらけ

なんと海陵王は、粛清した皇族や家臣の妻や娘を自分の後宮に入れてしまいました。

名前が記録されている者だけでも、6人の女性が夫が殺されたあとに側室にさせられています。
娘がすでに嫁いでいた場合は、夫と無理やり離縁させて自分のものにするという強引ぶり。

その行いは節操がなく、母娘や姉妹をまとめて宮中に入れたり、幼女を強姦することもためらわなかったといいます。
彼女たちといつどこでも性行為ができるように、宮殿中に布を敷いて、そこらへんで獣のように行為をしたと伝えられています。

そんな海陵王の餌食となった女性たちの一例を紹介してみます。

  • 唐括麗哥
    皇族である烏帯の妻だったが、海陵王が皇帝即位する前から不倫をしていた。
    烏帯が海陵王の帝位簒奪に加担すると、「烏帯を殺すならお前を皇后に立ててやろう」と海陵王に持ちかけられ、夫である烏帯を謀殺。
  • 唐括石哥
    唐括麗哥の妹。皇族である完顔文の妻だったが、海陵王が「離縁しなければお前を殺す」と完顔文を脅したため、やむなく離縁して海陵王の側室となった。
  • 浦察阿里虎
    皇族である南家の妻だったが、海陵王の脅しによって離縁させられ側室となった。
    前夫の間にできた娘の完顔重節も、欲情した海陵王によって犯され、親子ともに側室となった。
  • 修儀高氏
    皇族の糺里の妻だったが、糺里が処刑されて側室となった。
    また母の完顔氏も無理やり後宮に入れられた。
    というか高氏の一族すべての女性が後宮で海陵王に奉仕させられたらしい。
  • 完顔莎里古真
    家臣の撤速の妻だったが、海陵王によって強奪され側室となった。
    妹の完顔余都も犯されたので、海陵王に「なにも妹まで!」と責めたところ、「お前ほど美しくないが、余都は肌が綺麗だったから可愛がったんだよ」となどと言われたらしい。
  • 浦察義察
    海陵王の姪。海陵王はまだ幼女であった彼女が鞠で遊んでいるのをみて欲情して強姦したという。後宮に入れることに、さすがに皇太后が反対したため殺されてしまった。
  • 辟懶
    (名前不明)がおり、すでに妊娠していたが、欲情した海陵王が腹をもんで流産させようとしたため、「乳房など身体の全てを使って奉仕しますので許してください!」と哀願するも許されず流産させられ、犯された。

なんだか書いていてうんざりしてきました。

彼女らはほんの一部で、他にも名前の記録がない数多くの女性たちが海陵王の後宮で意志に反して奉仕させられたといいます。
倫理を度外視した、極度の好色皇帝だったことがこれらのエピソードからもわかりますね。

南宋への進軍と敗北

海陵王のもう一つの夢は、南宋を征伐して中国を統一することでした。

そのために、まずは捕虜として幽閉されていた遼の耶律氏や北宋の趙氏の若者130人余りを皆殺しにして、反乱などが起きないようにしました。

そして、北方民族としては前代未聞の海上から大船団を率いて南宋征伐を企てたのです。

▽金の造った船

女真族は船での戦いに不慣れなうえ、農耕に従事する時期の若者たちを根こそぎ徴発したことは内部の強い反発を招きました。

海陵王の母(実母ではなく、形式上の母)の徒単皇太后が、無謀だと諫めたところ、逆ギレした海陵王は、「お前は私の母などではない!南宋の妾だ!」とののしって彼女を殺害してしまいました。
そのうえ、遺体を焼き払い遺灰を河に投げ捨てる暴挙まででています。

そんな内部の反発を無理やり抑え込んだ状態で金の大軍は出撃しますが、軍の主力は契丹族で女真族でないこともあり、統制がとれずに士気は非常に低かったようです。
※大軍にするには、女真族だけでは数が少なく異民族も入れる必要があった。

さらに、采石磯という場所で、南宋の将軍虞允文による頑強な抵抗があったこともあり、長江を渡ることさえできずにいました。

▽南宋の名将 虞允文

無理やり徴兵されて、反発していた兵士たちの不満はたまる一方でした。
そんな時、金の本国で皇族の烏禄が反乱を起こして皇帝※に即位したことが判明。
※のちの世宗

もし海陵王の命令に従い、このまま進軍しても南宋に勝てずに捕虜になるだけ。
そう思った軍内部は動揺し、海陵王に対する不満がとうとう爆発することになります。

将軍の完顔元宜が将兵を率いて海陵王の陣営を襲撃。

▽海陵王の陣営を吸収する将兵たち


海陵王は味方の裏切りに愕然としつつも、応戦しますが最後は敵兵に斬りかかられたところを、首を絞められ殺されたといわれています。

その後

即位した世宗も、海陵王によって妻を自殺に追い込まれており被害者の1人でした。
世宗は彼に皇帝としての地位を認めず、単に王であるとして海陵王という名称を名付けたのです。

その後、金は軍隊を引き上げ、南宋と和議を結びなおしました。
前回の紹興の和議に比べて、両国間の立場が対等に近くなりましたが、金も南宋もしばらくは平和な時代を迎えることができました。。

まとめ

漢族の皇帝にもドスケベな者はいますが(むしろもっと数は多い)、海陵王はドスケベなだけでなく、他人の妻女を強引に奪うという倫理に反する行為をたくさんしています。

金の皇族は、靖康の変でも捕虜となった北宋の徽宗欽宗の妻女を自分たちのものにしたり娼婦にしたりと好き勝手にしています。
戦利品は何しても良いと思うのでしょうか?ここらへんは理解できません。
人間ってやはり倫理感をしっかり教えないと何しても良いと思っちゃうんですかね。

皆さんはどう思いますか?

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